〈ケア〉を見つめて、
ゆらぎ、迷い、悩み
考える
正解答や結論がないことが多い
逆に、わからないことが増える
あるのは、学びたいという思い
“縁” が大切
関係というか、繋がりというか
自分を生かしてくれるもの
自分の存在を支えるもの
いっぱい 読んで、話して、聴いて、食べて、飲んで
この小さな場から
何かが起こる
かな
「難しい」「分からない」という感想から始まった。
「哲学」というのはこんなにも分かりにくいものなのか。
それでも、読み進め、話し合っていくなかで、何か、おぼろげではあるけれど、こういうことを言っているのではないかなぁと、ちょっと見えてくる。少し分かったような気がしてくる。そこから、さらに、話がふくらむ。こういうところにも、この会のよさがあるような。
鷲田清一さんは『わかりやすいは分かりにくい?』のなかで次のように書いている。
――大事なのは、わからないけれども、わかっていないということだけはわかっているということ
――生きるうえでほんとうに大事なことは、わからないものに囲まれたときに、答えがないままにそれにどう正確に処するかの知恵というものだろう。
うん、会を続けることだ。
対話すること。思い巡らし考える、その思ったり考えたりしたことをできれば他の参加者に向かって言葉にしてみようとする。無理することはないけど。そんなことが大切なのかなと思う。
意見が違っていい。違うのが当たり前で、その違いが分かって違いを大事にしようとする気持ちがあればもっといい。(苛つく気持ちがあれば口を閉じたほうがよいのかも、まだ修行が足りない、と)。
特に何か結論らしきものを導き出そうと思うことはない。つまらないまとめなら無い方がよい。長田弘さんは「プロセスを豊かに」と言っている。
参加者1人ひとりが、会に参加してよかったと思って帰ってくれたらいいなとは思う。(けど、事はそう簡単ではないはずだ)。
何といっても、最後に、美味しいものを食べて飲んで喋って。それでいい。
みなさんに感謝です。 (林 道也)
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定例会 住所
京都市山科区安朱中溝町3−2
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