「〈ケア〉を考える会」50回記念に寄せる

 

「ケアの哲学」について考える

 ――「ケアがなんぼのもんや」と言うけれど――

 

林 道也  

1.はじめに

 

私は高齢者福祉のケア現場で働いている。自分の仕事をただ流されるままにすませたくない、その意味を問いながら現場に身を置きたいというおもいがある。そして、ケアの哲学またはケアの理念が大切であると考えている。ここで私がイメージする「ケアの哲学」とは、ケアを論じたり実践したりするとき、ケアについてその人が根底に持っている考え方やその体系のようなもののことである。

なぜ、「ケアの哲学」が必要と考えるか。自戒も込めて言う。それは、「ケアの哲学」を持たずにケアの現場に立てば、その場その時に流されたケアしかできないからである。あるいは、ケアが、「ケアの哲学」以外の何者かに支配されてしまう恐れがあるからでもある。

ケア現場で何か課題や困難なことに直面したとき、私たちはどのようにそれを乗り越えていくか。勘や経験に頼ることもあるだろう。技術やいろんなシステムが支えてくれることもある。実践報告や書籍からも多くを得るし、先達や同僚からも助けられ学ぶ。そして、ここで最後に頼りになるものの一つが「ケアの哲学」である。

 

 

2.どのように「ケアの哲学」を考えるようになったか

――「〈ケア〉を考える会は」どのように始まったか 

 

「二一世紀は『ケア』の時代である、とよくいわれるようになってきた。そうなると、個々のケアの実践を超えた、あるいはそれを根底で支えてくれるような、『ケアの哲学』とでもいうようなものが必要になっているように感じられる。」

広井良典氏が『ケア学』(医学書院)で述べている。

私が広井氏を知ったのは、京都市老人福祉施設協議会会長の山田尋志氏の講演だった。山田氏はここで、介護の世界はこれから目覚ましく変わっていく。学ぶことを怠ってはならないと述べた。『ケア学』は山田氏が紹介した本の1冊だった。

私たちは、広井氏や山田氏の言葉に触発されて学習会「〈ケア〉を考える会」を始めた。ところで、ここにもう一人、大切な存在がある。小澤勲氏である。小澤氏の講演会に集まった4人が、講演の感動の中で、「もっと勉強しようよ」と言い合い、会の設立メンバーとなった。がんに侵されていることを告白した小澤氏は、講演中に倒れた時のためにと代理の講演者まで用意されていた。認知症とそのケアについて目が覚めるような講演であったのを思い出す。

〈ケア〉を考える会(当時は、「〈ケア〉を探求する会」と言っていた)は、広井氏が『ケア学』で紹介していた鷲田清一氏の本を最初に選んで読み始めた。2003年のことである。その時、私は会の呼びかけ文に次のように書いた。

 

鷲田さんの学問は「臨床哲学」といわれる。

「臨床」- つまりこの哲学は「現場」から発せられるということか。

わたしたち「現場」にいるものが、その「哲学」にふれる。

生の姿で、普段着で、ふつうの言葉で参加する。

そんな試みとしてこの会は生まれる。

 

『広辞苑』で「哲学」を引くと、「世界・人生の根本原理を追求する学問」、「人生観・世界観。また、全体を貫く基本的な考え方・思想」などと書かれている。哲学というと、何か難しい、普通の人には縁遠いもののように思われがちである。実際に、哲学書といわれる本を手にしても難解でなかなか読み進めることが出来なかったりする。読みやすい文章を書くという鷲田氏の本にしても、やはり、易しいものではなかった。

私たちは、この会で、ノー・ハウ的なものを得ようとは思っていない。ケアの仕事を根底で支えてくれるような何かを求めている。ケアの根本原理、ケアを貫く基本的な考え方、私たちがケアの現場に在ってその支えとなる言葉や思想などにふれたいと願う。それは、上の方から下りてきて与えられるものでなく、私たちケアの現場にいる者が、ケアの中で、自分たちの体と言葉で掴み取っていくものでありたい。そして、それは容易には手に入らないであろうことも想像できる。

私たち一人ひとりは弱い。私には一人で取り組む自信がなかった。誰かと一緒ならやれるかもしれないと思った。

私の「ケアの哲学」を、他者と共同学習の中で探し求めていこうとしたのである。

 

 

3.「ケアの哲学」がないと感じたとき

 

 ある時、私は、次のような文章を書いた。これは私が、特別養護老人ホームの生活相談員、老人デイサービスセンターの介護職員をへて、居宅介護支援事業所のケアマネジャーとして働いている時のものだ。少し長いが引用する。

 

最近、私が勤める高齢者施設はどうなっているのでしょう。

施設の管理職は、このところ、経営数字のことしか言わなくなりました。ケアの質は二の次三の次と考えているとしか思えないほどです。

たとえば、ショートステイ(短期入所)の利用率を120%にせよ。同じ法人の他の特養が「午前退所、午後入所」で収益を上げたから、それを見習え、と言います。

その特養では、短期入所の利用者に対し、午前に退所していただき、その日の午後に次の方を迎えます。1日に2人分の利用料が入ります。利用者からはそれぞれ1日分の利用料と食費を徴収するし、国保連(介護保険)にも請求します。個々の利用者の都合は無視し、全部の利用者に適用します。利用者は、苦情を言えば次から利用できなくなるのではないかと恐れてか何も言わないとのことです。

入所・退所は個々の利用者やその家族の状況を尊重して行われるべきです。それこそ「個別ケア」です。しかし、この施設では個別ケアを施設理念として掲げながら、収益と利用率が優先されています。

よいケアは健全な経営がなされてこそ達成される。経営が好転すれば、職員も雇える。職員が増えればよいケアができる。我が管理職はそう豪語します。だから、とにかく、がんばって収益を上げよ、できなければ施設は潰れる、と。

そうした管理職の多くは市の幹部職員からの「天下り」、しかも、福祉現場の経験が少ない人が多いのが現実です。

私は、経営や管理を否定するものではありません。むしろ、この厳しい高齢者介護の状況を乗り越えるために、厳しい経営や管理も必要と考えます。そこで彼らは大きな役割を果たします。また、天下りだからとか、福祉現場の経験が少ないからといって、一概に悪いと言うつもりはありません。今、彼らがこの社会福祉法人の中で存在する意味は少なくないと思います。

しかし、ここには大切なものが欠かせません。そのひとつが「ケアの哲学」です。「ケアの理念」と言ってもよいでしょう。ケアに携わる人や、ケア施設・事業所を管理する人が持っていなければならない、ケアについての根底的な考え方や姿勢のようなものです。天下り管理職の中には、貧弱な「ケアの哲学」しか持っていないのではないか、と思われるような人もいます。そして、その人がケア現場を管理・指揮し、現場に混乱や不安を持ちこみます。

今の私の職場は、そこで働く人にとって、とても辛い状態になりつつあるような気がしてなりません。                      (20083月)

 

 収益や利用率に囚われすぎて高齢者の尊厳を守るケアが疎かになっているように私は感じた。そして、そのようになる原因の一つが管理職の「ケアの哲学」不在にあるのではないかと考えた。

本来、施設の管理運営とケアの質は対立するものではないはずである。ところが、その一方のみが強くなった。では、何が問題だったのか。

そこでは、経営管理を強調する管理職の力や意向が大きく押し出された反面、ケアの質を追及すべきケア現場職員の意見や力が弱いままだったために、ケアの質が軽視され、収益重視の方針になっていった。

「ケアの哲学」不在は管理職だけではなく、ケア現場職員の側にもあったのである。そうと、今なら言える。少なくとも、ケア現場職員はケアの質を高め守るために、管理者に対して発言するなどの努力をもっとすべきであったのだ。それができなかった原因を、職員の「ケアの哲学」不在に求めるのは間違いであろうか。再度言う。これは自戒をこめての言葉である。

 

 

4.「一人ひとり」の「尊厳」を守る

 

 「ケアの哲学」について体系立てて論述する力量を私は持ち得ていない。そもそも、「ケアの哲学」が存在することを証明することさえもできない。しかし、「ケアの哲学」は必要である。少なくとも私には「ケアの哲学」が必要である。私がケアを考えるとき、また、ケア現場に立つとき、よって立つべき拠りどころがなければならないからである。

だから、今後、多くの研究者や実践者によって「ケアの哲学」が打ち立てられていくことに期待を寄せるし、そのために少しでも発言できたらと思う。

ここでは「ケアの哲学」を語るとき、キーになると思われるものについて述べることにする。そのひとつが「一人ひとり」の「尊厳」を守ることであり、そして、もうひとつが「関係性」である。

ケア現場では、管理職も現場職員も「ご利用者のために」とか「利用者様を大切に」などの言葉をよく使う。しかし、その内実は、利用者のためというより、管理職や現場職員の意向に沿ったものだったりすることが多々ある。

余談だが、「ご利用者様」という言葉をよく耳にする。「利用者」に「ご」と「様」をつけることが尊厳を守る第一歩になるらしい。「ご利用者様」と言えば、それで尊厳を守ったことになると勘違いしていないのだろうか、気にかかる。

さて、「尊厳」すべき「一人ひとり」であるが、それは、他の誰かと交換することができないかけがえのない存在としての個人のことである。その人には、誕生以来この社会の中で生きてきた歴史があり人格がある。そして、その中で得た様々な関係や馴染みといったものなどに囲まれて生活している。さらに、そこに老いと衰えが忍び寄ってきている。そうした個人をそのまま人間として尊重する。そして、その人にとっての最善のケアを目指す。これが「一人ひとり」の「尊厳」を守るケアというものであろう。さらに言えば、その「歴史」、「人格」、「関係」や「馴染み」などにケアがどのようにかかわるかが重要になってくる。

とはいっても、その人は認知症や他の病気が進んで自分の意思を表明することができなくなっていたりする。また、その人にとって最善とだれもが思うケアを当の本人が受け入れないこともよくある。そんな時どうしたらよいか。原則に戻るしかない。

清水哲郎氏は「ケアする者の行動原則(倫理原則)」として次の三つをあげている。

(1)相手を人間として尊重する。

(2)相手にとってもっとも益となることを目指す。

(3)社会的視点から見て、公平であるようにする。(『高齢社会を生きる』東信堂)

ところで、ケアされる利用者が一人ひとり違うように、ケアを提供する側の人間も一人ひとり違う。それぞれ個性を持ち、ケアの仕方にしてもそれぞれの人の特性や味わいというものが出てくる。それなのにケア職場では、利用者に対しては「個別ケア」を大きく謳いながらも、職員一人ひとりの個性、適性や特性を大切にするという機運が高まらないのはなぜだろうか。ある理想とされる「期待される職員像」のようなものが重視され求められているが、職員一人ひとりの違いを認め合うことも大切なのである。

後で述べるように、ケアは「関係性」そのものであるといってもよいほどケアする者とケアされる者の関係が重要であることを考えれば、「一人ひとり」をもっと広く深く考えていく必要がある。

 

 

5.「一人ひとり」と「関係性」

 

「一人ひとり」は、どのように存在しているのであろうか。

鷲田清一氏は次のように述べる。

 

〈わたし〉は「他者の他者」としてある。〈わたし〉は、わたしでないひと(他者)にとって、そのひとが無視できない別の存在(他者の他者)でいるとたしかに感じるときに、まごうことなき〈わたし〉となる。

わたしがじぶんの存在を〈わたし〉として意識するのは、じぶんの存在が他者の思いの宛先となっていると感じること、じぶんの存在が他者になんらかの効果をおよぼしていることを知ることをきっかけとしてである。(『死なないでいる理由』角川ソフィア文庫)

 

 他者の気持ちの宛て先であるということ、言いかえると、他者のなかにじぶんがなんらかのかたちである意味のある場所を占めているということ、このことを感じることで、生きる力が与えられるというのはわかりよいことである。

 だれかある他人にとってじぶんがなくてはならないものとしてあるということを感じられることから、こんなわたしでもまだ生きていていいのだ……という想いがそっと立ち上がる。〈わたし〉という存在に顔がよみがえるのだ。(『〈弱さ〉のちから- ホスピタルな光景』講談社)

 

人はひとりでは生きていけない。これにはいろいろな意味がある。とりわけ、人が生物的に心臓や脳が働いている状態であるという以上に、人間として生きる意味を問いながら生きることを考えた時(人は生きる意味を考えなくても生きていけるし、生きてもいる、と言う人もあるが、これはひとまず置く)、他者との関係を抜きにしてその生は語れない。他者との関係が貧弱になったとき、その生も貧弱になる。

たとえば、私。今、死にたくないと思う。強く思う。

逆に、私はどんな時や状態になったら死にたいと思うか。死んでいるといっしょだと思うか。

私のことを思ってくれる家族がいなくなったら。たとえ憎まれていてもいい(私には憎まれても仕方がない肉親がいる)。私がその家族の「思いの宛先」であるなら。しかし、私を憎む家族さえもいなくなったら、私は、大きな生きる支えを失う。

さらに、今書いた文章の「家族」を「友人、知人、仲間、隣人」などに入れ替えてみる。そして、家族を含めた、そのすべてを失ってしまったら、私は死んでいると同じ。たとえ、心臓が動いていたとしても。

私のことを思ってくれる人がいると感じる。だから、私は死ねない。死にたくない。

「他者」の中に「わたし」が生きていると感じて、信じて、「わたし」は生きる意味を見いだす。「他者の他者」である「わたし」。「わたし」は、その「関係」の中で生きている。「関係」が生きる意味を作る。「関係」が生きる力をもたらす。

「一人ひとり」は、ばらばらにではなく、他者と幾重の関係を持ち、そこで生きる意味を見つけ、力をもらって、存在する。

 

 

 

6.ケアは「双方向」

 

ケアする者とケアされる者の「関係」はどうあるべきか。元気になる「関係」とはどのようなものか。

ここでも鷲田清一氏のことばから入る。

 

〈老〉と〈幼〉に共通するのは、いずれも単独で生きることができないということである。いいかえると、他のひとの世話を受けるというかたちでしかその存在を維持できないということである。が、その世話が、支えあいというよりも、一方から他方への介護であったり保護というかたちをとるしかないのは、哀しいことである。ひとはただ生きてあるだけでなく、生きるということ、じぶんがここにあるということ、そのことの意味をも確認しながらしか生きられないものであるのに、介護や保護やときに収容や管理の対象としてしかじぶんの存在を思い描くことができないときには、じぶんがここに生きてあるということについて意味を見いだすのがひじょうにむずかしくなるからである。(『老いの空白』弘文堂)

 

 老人デイサービスを利用する優子さん(仮名)は、難病を抱え入退院を繰り返していた。さらに歩行困難で外出時は車椅子介助で移動し、自宅内ではなんとかつかまり歩行できていたが徐々にその力も低下傾向であった。精神的にも「思うように歩けないうえに、難病で将来に希望が持てない」と落ち込み、それがまた体調を悪くした。デイサービスに来ても「疲れた」とベッドで横になることが少なくなかった。そんな優子さんだが手先が器用で自宅で人形や小さな飾りものなどを作るのを趣味としており、自宅の棚にその作品が所狭しと並んでいるのに目を付けたデイサービスの職員が、彼女を中心とする「クラフトサークル」をボランティアの婦人とともに立ち上げた。サークルの運営は紆余曲折があったが徐々に軌道に乗ってきて、優子さんと職員やボランティア、そして、サークルに参加するデイサービスの利用者との関係が深まるにつれ、彼女は明るく元気になっていった。何よりも彼女には「先生」としての役割がある。彼女を頼る人がいる。彼女の作る作品を称賛する声がある。彼女は喜んでくれる人に自分の作品を惜しみなく与えもした。次はどんな作品を作ろうかとボランティアや職員と相談している表情には生気がみなぎる。それ以降、彼女は入院していない。朝、デイサービスの玄関から、車椅子の優子さんの「おはようございます」という明るく大きい声が響く。その玄関にも彼女の作品が並ぶ。

 優子さんは、かつて、夫や介護職員からもっぱら介護を受けるだけの存在のようであった。人形作りはほとんど自分ひとりの世界で行われていた。ところが、その人形を通して他者とのいろいろな関係が作られ、自分の役割ができ、張り合いが生まれた。

 同じくデイサービスを利用する美恵さん(仮名)は、優子さんに出会って元気になった一人だ。洋裁が得意だった美恵さんは、優子さんの作品に取り組む姿に心を動かされ人柄にもほれて、サークルに参加し親しく話をするようになる。夫と死別し長女の家に越してきて、家に閉じこもって家族以外の人とほとんど話すことがないような生活を続けてきた美恵さんであったが、優子さん等との関係の中で明るくなっていった。「優子さんのおかげです」という美恵さんの言葉を、優子さんは笑顔で迎える。そうした声が優子さんをさらに元気づけている。

 ケアは一方通行であってはいけない。「ケアはほんとうは双方向的である」と鷲田氏は述べる。

ケアは、相手に元気をもたらすためのものである。あるいはケアは、相手をよりよい状態にするために、また、悪化させないために行なわれる。人は受け身の状態だけでは元気になれない。たとえ、どんなに優れているといわれるケアも、一方的で、ケアされる相手にとって意味を持たないものは、その人にとってはケアと言えない。

あのナイチンゲールは、看護(ケア)で大切なことは、患者にとってよりよい環境を整備・管理し、患者の自然治癒力や生命力を最大限に引き出すことであり、よりよい環境が、健康な体になっていく過程を助ける、と強調した。

元気になるのはケアする相手である。無理に元気にすることはできない。ケアは、元気になる手助けをするだけであり、相手の中に元気になりたいという何かが生まれることが重要だ。相手の中に能動的な何かが育つこと。相手を受け身だけにさせないこと。だからこそ、「双方向」の「関係」作りが求められる。

ここで、もう一つ大切なことは、鷲田氏も繰り返し述べているが、ケアを提供している側の人が、そのケア関係の中で、ケアする相手から逆にケアされて元気を貰うという現実があること。そういう意味からも、ケアは「双方向的」である。優子さんの笑顔や生き生きした姿に接して、職員やボランティアが優子さんから力や勇気を貰っている。優子さんと美恵さんの関係もまた双方向である。お互いに相手から元気を貰い合う。元気のやり取りをしているのである。

 

 

 7.「ケアがなんぼのもんや」――ケアの限界を知る

 

「ケアがなんぼのもんや。ケアはそんなにすごいのか。ケアで何でもできると思っているのか。そのケアを受ける人の人生にケアはどこまで関われると思うのか。一部でしかない。ケアにできることは限られている。それを知ることだ。」

「〈ケア〉を考える会」の例会で、ある会員が述べたこのことばが頭を離れない。

大切な視点である。ケアはここまでしかできないと一つの線を引いてそれ以上奥には踏み込まないという意味では決してなく、それでもやはり限界を知って、出来ることと出来ないことを見極め、出来ることに力を注ぐ。

特別養護老人ホームの介護職員がどれだけ頑張っても、職員に出来るケアには限度がある。その出来ることと出来ないことを知る。出来ることに精いっぱい取り組み、出来ないことはまた別な対応を考える。ということか。たとえば、その出来ない部分にこそ「地域」との結びつきやボランティアとの関わりが大きく求められるのかもしれない。

その人の人生には、ケアだけでなくケア以外の多くのものが関わっている。人生を取り巻く大きな世界の中の一つとしてケアをとらえる。ここでも「関係性」が問われる。ケアとケア以外のさまざまなものとの「関係」が意味を持ってくる。その「関係」に働きかけること。これも、広い意味での「ケア」かもしれない。

 

 

8.おわりに

 

これは、「ケアの哲学」考察の端緒にすぎない。

ここで、私は、「ケアの哲学」が大切であること、及び、私が「ケアの哲学」を語るときに重要と思われるものについて述べてきた。前にも記したが、私には「ケアの哲学」の全体像を描くことはできない。「ケア」とは何か、という問いにきちんと答える自信があるとも言えない。かといって、私はケアの現場にいるわけであるし、私の前にはケアを必要としている人が大勢いる。この人たちに対して真摯に誠実に向かい合っていきたいと思う。学ぶ姿勢を取り続けることこそがそれに応える一歩であると信じるし、「〈ケア〉を考える会」がその一つの場所であらねばならないとの思いを強くして、この小文をひとまず閉じる。

(京都市修徳地域包括支援センター、社会福祉士、介護支援専門員)