ケアは自分の肥やしに

               小倉 康子



〈ケア〉を考える会 100回 おめでとうございます。

 
 私がケアについて考えていることをお話しします。
 私が高齢者福祉の仕事に携わって20年あまりが経とうとしています。特養の介護員、デイサービスの介護員、指導員、現在は居宅介護のケアマネジャーをしています。「介護」ひとつをとっても介護保険制度が制定される前と後では介護する側、される側の意識も変化していることを実感します。
 また新たに地域包括ケアシステム構築に根ざして動きだしています。社会全体で高齢者や認知症ケアについて考える必要があることに注目されるようになりました。それでも実際に携わってみないとわからないことだらけで、ケアをすることは奥深いものであることを伝えていけたらと思います。私は、ケアマネジャーとして相談を受けるのですが結果として上手く運べたケースよりも残念だったケースを振り返ります。
 そこには自責もあれば「なるようにしかならない」としか言い表すことしかできないものが沢山あります。そこで、相手を労うと同時に自分に優しくすることに徹します。そうしなければ、バーンアウトしてしまうからです。そうした時は、セルフケアも大事ですが、仲間を持つことです。まさに、このケアの会ですね。
 さて、私の考えるケアに話を戻します。
 私の仕事の始まりが、たまたま高齢者介護施設だったので鍵となるのは利用者と介護者(家族)なのですが、児童、障害、病院でのソーシャルワーカーだったら対象となる相手がかわります。それぞれの領域の専門職で考え、加えて、多職種連携で支援します。
 ケアマネジャーの仕事でアセスメントをする際に、いつまで経っても架空の世界、情報がとれないこともあります。なかなか、推測つかないことがあります。逆の立場だったらどうか、私だったら、やはりこの人なら大丈夫と思うまでの間は、全てを話すことはしません。ましてや、高齢者で認知症の方となれば、言葉で表現することが困難となります。
  相手に添うこととはどういうことでしょうか。話しを引き出すことだけではなく、ただなんとなくでも、側にいて心地良い風を与えてくれたら、少し元気になれて、いつかは素直に委ねられる相手になれると思います。そこには、まつ、きく、かかわる、よりそう、ことです。
 
 鷲田清一さんの東日本大震災後に紹介された言葉があります。「語りなおしのプロセス」。震災で被害を受けた方自身が、つらい経験を話すことです。聴き手が口をはさまないことがあげられています。受容や傾聴ということですが、ここにも、「まつ」が存在します。心のケアにはそうした時空が必要で、簡単に解決するものではないと思うのです。私の関わる利用者や介護者(家族など)も同じです。こちらの心の瞳をそそいで、時にはユーモラスに(笑いはポジティブに生きる力)、泣きは心の浄化、それらをバランスよく相手にあわせてあげる。そう、傍らで、意識をもって。
 全ては、自分にもどる贈り物です。それを肥やしにしていけばいいかなと思っています。


                     (主任介護支援専門員)